原発がどんなものか知ってほしい - 2006年5月30日

原発がどんなものか知ってほしいは平井憲夫の講演内容に無知な反原発運動家の脚色が入っている」という話。
HTML 文書化したのは平井憲夫ではないのは同意だが、どのあたりまで脚色が加えられているという根拠がいまいち弱い。平井憲夫の著作物を読めば分かるのだろうか。あまり読みたくはないが。
ちょっと調べると、PKO法「雑則」を広める会が1995年に発行したミニコミ誌、アヒンサー「私、子ども生んでも大丈夫ですか」が大元のようだ。ここから原発がどんなものか知ってほしいとして抜粋されたものも存在するらしい。ただ、この手の印刷物の常として、何度も「復刻」されているようなので、具体的に底本としたものは相変わらず不明だ。

ウェブ上における反原発運動の代表作として「原発がどんなものか知ってほしい」は、あまりにもお粗末な出来であり、被リンク数に値する価値は到底ないという点には同意。
この文書が有効に機能する場面というものが存在するとすれば、原発が何で動いているのかなどまったく興味もないような、完全なド素人を啓蒙する場面での導入テキストとして、くらいなものだ。ただし、その後のフォローが十分保証された上での話。
原発派の中には、どうもインパクトに頼る傾向のある一派が目立ち、こういう煽動的な文書をこよなく愛す傾向がある。それはなかなかこっちを向いてくれない無関心層への苛立ちを反映しており、気持ちとしては理解できないでもない。しかし、煽るだけ煽っておいて、その毒気に当てられた者へのフォローをしないのは勘弁して欲しい。
たとえば、「私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられないという下りがある。なぜか美談扱いになっている。答えられないということは、生むな、死ね、殉教せよ、と言っているに等しい。もうこれは宗教だ。常識的な世界の話ではない。現実問題として、中学生がこんなことを言い出したら、不安を拭ってやるのが良心的な大人の取るべき行動である。教義と子供を天秤にかけて、教義を取るのは確かに立派な宗教家ではあるが、不信心者には理解できない、したくないものだ。