らばQ : iPod touchとiPhoneは日本のモバイル市場の未来を破壊する

願望の強調形が断定に置き換わってしまった典型例。
Palmが初めてインターネットにつながるようになったときも、Pocket PCが出てきたときも、BlackBerryがなんだか流行ってるらしいという話が聞こえてきたときも、AirH”が登場したときも、Treoが誕生したときも、W-ZERO3が発表されたときも、Opera MobileがPocket PCに対応したときも、同じような妄想が「彼ら」の口に上っていた。ケータイ専用サイトを異形のものとして忌み嫌い、PCサイトをケータイによるウェブ利用と同様、どこでも気軽に見られるようになることを心待ちにしている人々である。
件の方が「彼ら」に属する人物かどうかは知らない。しかし私は「彼ら」でもあるのでこの手の妄想は所詮妄想に過ぎないことを重々承知している。
手のひらの中に収まるデバイスにてPCサイトを利用する上で、もっとも高く、最後まで越えられないであろう壁は、ディスプレイの物理的なサイズだろう。これを根本的に解決するのはそれこそSFに出てくるような、空中に仮想ディスプレイを映し出すような跳躍的な技術が必要だ。
画面サイズの差はそのまま情報量の差につながる。そこを埋めるためのアプローチは、小さな画面の中にとにかく効率的に情報を押し込むのが常道だったのだが、あえて覆して見せたiPod touchはその点において画期的だったと言える。
ただそれだけの話であり、最初に言ったとおり何度も何度も繰り返されてきた話だ。性能的にちょっとケータイを超えている、というだけではケータイの牙城は崩せないことも歴史が証明してきた。性能で上回るならば、完全に別次元でなければ無理なのだろう。あるいはここまでケータイが普遍的になってしまった以上、性能からのアプローチはもはや無意味なのかもしれない。

iPodは「よくできたオーディオプレイヤー」ではない

気になったので。
レンタルCDショップで、適当に流行のものを拾って聞き、飽きたら捨てているような人ならともかく、自分のCDライブラリを丸ごと持ち歩き、好きなときに好きな曲を聴けるというのはポータブルオーディオプレイヤーにおける画期的なパラダイムシフトに他ならない。
この時点でiPod touchの影響で舞い上がってしまっている、平静ではないと感じてしまう。

Opera Mobileとの比較

W-ZERO3上でしか使ったことがないが。
結論から言えば、全く比較にならない。無責任感全開な消費者になったつもりで表現するならば「Operaは今まで何を遊んでいたのだろう」としか。
Opera Mobileの手法は、旧式PCでリッチなコンテンツを閲覧する方法の延長上にある。適切な記述で書かれていれば順当に情報量を削って表示できる。しかし適切な記述でない場合はどうしようもない。「おれ(Opera Mobile)も頑張るからおまえ(コンテンツ作成者)も頑張れ」という10年来、そしてこれからもずっと引きずりそうな結論に落ち着いてしまう。
Opera Mobileにおける端的な問題を一つあげると、ニュースサイトやブログページにありがちな、右端、あるいは左端、もしくは両端にあるナビゲーションが恐ろしく邪魔になる。未だにナビゲーションを本文より後ろに記述するという習慣がコンテンツ作成者の間に根付いていないこともあって、無線LANでなくPHS回線で接続したときなどは延々ナビゲーションだけを読み込み続けて、いつまで経っても本文が読めないのが日常化している。10年前のアナログモデム時代に戻ったかのような感覚すらある。
スクロールが鈍重なのもこのイライラ感に輪をかけてくれる。Opera Mobileを使って、外でPC向けの画像豊富なニュースサイトを見るなどというのは、情報収集ではなく単なる暇つぶしである。
iPod touchはこの点を、軽快なスクロールとダブルタップで対象カラムをズームアップすることによって完全に解決している。CSSを無効にするという手段はない。そんなところで貧乏性を発揮する必要がないからだ。
Opera Mobileのアドバンテージは、Copy & Pasteや物理的なキーボードが使えるところだ。この辺はiPod touchへの大いなる不満を感じる。特にCopy & Pasteが無いのは非常に困る。どうにかしてくれ。